【教育の専門家】 藤田 和彦

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藤田 和彦(ふじた かずひこ)
【教育の専門家】
OASES 代表
一般社団法人小学校受験協会 代表理事

【教育・住宅・金融】のプロとしての信念・誇りを持ったそれぞれの専門家と気軽に繋がることのできる「ファミスク」
子育て真っ只中の皆さまが知りたい等身大の教育の話。

今回はオンラインイベントにご登壇いただく、一般社団法人小学校受験協会 代表理事 藤田和彦氏のご紹介です。

インタビュー

ーご経歴を簡単にご紹介ください

愛知県名古屋市に生まれ、5歳の時に岐阜県多治見市に引っ越してから、幼少期を岐阜県で過ごしました。
公立中学から、塾・予備校に行かず、愛知県にある進学校の東海高校(中高一貫)に高校から入学しました。

高校入学後は水泳部に所属し、塾・予備校は模試を活用(高3時)するのみで、東京大学教養学部 文科一類(いわゆる「文一(ぶんいち)」)に現役合格しました。
大学時代は、憧れであった役者の世界に飛び込み、大学卒業後は、プロの家庭教師としての活動も行ってきました。

現在は一般社団法人 小学校受験協会の代表理事として、国立小受験専門のクラスの企画・監修・指導を担当しています。

ー親子の家庭教師を行っている理由はあるんですか?

家庭教師として、中高生を中心に指導をしていた時、「伸びる生徒」と「伸び悩む生徒」を分ける鍵を、家庭環境がにぎることに気づきました。ご両親が子どもにどういった声かけをするかや、親子の関係が、学習の成果にも反映してくることがわかりました。
そこで、円満な家庭づくりをサポートするために、お子さまへの学習指導にとどまらない、「親子の家庭教師」として活動をスタートしました。

これまでに、PTAなどで保護者の皆様に向けた講演もおこなっています。

ー学生時代にOASES (オアセス)を立ち上げたと伺っています。どのような想いでしたでしょうか?

OASESというのは、oasis(オアシス)の複数形です。閉塞感がただよう社会の中で、砂漠の中のオアシスのような憩いの場所を自分の周りにつくっていきたいという想いがありました。でも、それは自分の周りだけ、ということではなく、ご縁をいただいた方の周りでも、そのような「オアシス」が広がっていってほしい。そのきっかけに自分がなれたら、という想いから、「OASES」という名前を考えました。

ただ、学生時代はそういった想いを抱いていた、というくらいで、具体的に組織的な活動をしていたわけではありませんが。
最終的には、ひとつひとつのご家庭が、子どもたちにとっての憩いの場であることが理想です。そのためのきっかけとして、自分が関わっていくことができたらと思っています。

ー俳優をめざしていたとお聞きしました。東大生で役者を目指す方は非常に希だと思いますが、何か理由があったんですか?

「役者になりたい」ということを真剣に考えたのは、高校生の時でした。
県をまたいで入学した高校には、中学までの同級生や知り合いは1人もいませんでした。それまで、地元の狭い世界の中で過ごしていたところから、一気に世界が広がると同時に、自分が、世の中に「埋もれている」感覚をおぼえました。今となっては当たり前なのですが、通学の電車の中でも、自分のことを知っている人は誰もいない、という現実にショックを受けたのを覚えています。ちょっと「注目されたい」という思いが強すぎたのもあったのでしょうね。(笑)

そこで、どうしたら世の中に注目されるような人になれるだろうか、と考えたときに、「テレビに出る」ということしか思い浮かばなかったんです。毎週のようにテレビに出るようになったら、それこそ、連絡が取れなくなっていた中学時代の同級生にも見てもらえるかもしれない。

でも、大学受験を途中で投げ出すのは嫌だったので、「最後まで受験はやろう」「役者になるなら東京だ」という思いで、無事、大学受験を終えて上京することができました。

​大学では、最初の学期に、単位を取れるだけ取って、1年生の11月から、俳優としての活動をスタートさせました。最初は、いわゆる「エキストラ」のお仕事から。徐々に大きな仕事が入るようになり、そこから連ドラへの出演、そして主演へ・・・。そんな目標でいたのですが、結果的には、大学生の時期の3年間では、チャンスをつかむことができませんでした。

​学校のテストとは違って、「正解」が与えられない役者の世界で、「正解」は何だろうか、と戸惑っていた3年間だったようにも思います。はっきりしたのは、「自分を売り込むこと」が、圧倒的に下手だった、ということです。

人生の一時期をかけて、真剣に取り組んだことが結果にならない、という点では、初めての「挫折」だったかもしれません。ただ、これも、やってみたからこそ言えること。もし、大学時代に役者に向けてチャレンジしていなかったら、「あの時、役者を目指して活動していたら、今ごろは……」と、今でも思っていたかもしれません。(笑)

ーとても良い経験ですね。それから何故受験のサポートを行おうと思ったのでしょうか

「石の上にも3年」で取り組んだ俳優活動でしたが、3年が経過した時点で、大学4年の11月になっていました。周りの同級生たちは、もう卒業後の進路を決めていました。そこで、初めて、「自分がやりたいこと」だけでなく「自分だからできること」について考えました。

実は、「勉強を教えること」は、クラスの友人を相手に小学生からやっていました。小学6年生の時は、担任の先生のご厚意で、1コマ授業をさせてもらったこともあります。勉強を教えることで友人から喜ばれたり、「わかりやすい」と評判もよかったという原体験もあり、「人に教えること」を仕事にしようと考えるようになりました。

実際に知人のお子さまに家庭教師として指導をしてみると、2時間自分が教えるだけで「テストの成績が上がった」というお声をいただきました。時には、「テストの点が倍になった!」というお子さまもいました。俳優活動をしていた時とは違った手応えに、これが向いている仕事なのだと実感しました。

「塾に行かなかった人間が塾をやる」というのも、面白いな、と思いました。自分が学生だったら、「通いたい」と思ったであろうクラスを形にしていっています。

「受験」というのは、お子さまの将来を決める重要なイベントでもあります。だからこそ、「受験」に向かう期間は、受験生であるお子さまにとって、そしてお子さまをサポートするお父さま、お母さまにとっても、「真剣勝負」の期間ともなるでしょう。そんな時だからこそ、受験に向かうご家庭が「憩いの場」であり続けてほしい。それが、受験のサポートをしている理由でもあります。

現在、お教室で子どもたちを前に指導をしていると、役者を目指していた時に積み重ねてきたことも、決して無駄にはなっていないな、と感じることがあります。お教室が、現在の私にとっての「舞台」だと思って、1回きりの「舞台」を、日々、やりきっています。

ーみんなの参考書を読んでいる方へのメッセージをお願い致します。

「やりたい」と思ったことは、何ごともチャレンジしてみてほしいです。チャレンジするよりも、失敗しないこと、リスクを避けることを選んでしまうことが、多いように思います。

例えば、受験には「合格判定模試」といったものがありますが、「模試でE判定になった学校は受験を諦めよう」という選択をする人がいると聞きます。私は、「模試の合格判定はアテにならない」と伝え続けています。実際に、「合格圏外」から志望校に合格する人は、毎年必ずいるでしょう。だったら、その1人に自分がなる、と思って、足りていない残りのギャップを埋めればいいだけです。

受験に限りません。
一度きりの人生を、生きているのは自分自身です。やる前から自分の限界を決めてしまったり諦めてしまったりするのではなく、ぜひ、自分の「やりたい」「なりたい」に向けて、小さなチャレンジを積み重ねていってください。

そして、「やってみたい」という子どもたちの気持ちを後押ししてサポートしていける、そんな大人や社会でありたいとも思っています。